一年間の授業

この一年は、自分にとってとても変化の大きな一年だった。高校から大学に寺生をしながらの生活になった。密教学を学ぶ上で、毎日が勉強のような日々だった。特に、大学の勉強のレベルの高さには驚くばかりであった。
前期の空海の思想入門は、特に苦労した。何も密教に対して知識を持たずに臨んだ空海の思想、歴史はとても難しかった。仏教用語がでるたびに辞書で調べながら少しずつ理解していくので精一杯だった。だから、単位が取れた時にはかなりの達成感を感じた。
それは後期に入っても同じだった。釈尊伝、弘法大師伝で新しい仏教用語が出るたびに、いつも混乱した。釈尊伝では、空海よりずっと昔、仏教が成り立つ時代の勉強をした。仏教用語、漢文の知識だけでは理解ができず、サンスクリット語など多くの知識が必要な分野であり、着いていくことすらままならないほど難しく、とても苦労した。
そして教師を目指す上で、「教育実習を行くのにテストの平均点が75点以上であること」という校則にはとても苦しめられている。ただ単に単位を取るだけではいけない。しかも、どの授業に対しても同じである。寺生といのも言い訳にならず、寺生をしながらの勉強はとてもきついものがあった。
今年の4月から自分は2回生になる。学年が上がれば、もっと内容が濃いものになり、ますます難しくなってくると思う。また、よく学年が上がるにつれてだらしなくなる人が多いと聞く。しかし、この一年間での苦労を無駄にしないように、また自分で自分の首を締めることのないように、この一年間とかわることなく、勉強に励んでいきたい。